F07期 友電会会長 廣瀬一夫
大学を卒業すれば友電会会員であると言っても、大多数の方はその認識もなく、日々生活をしているのだろうと思います。私もその大多数の内の一人でした。
友電会との関わりを話すとき、そのきっかけは当時の仕事から端を発しているので、そこから話をしなければなりません。
今から30年近く前の1995年ころといえば、windows95が出てからDOSからアイコン、GUIへと衝撃的な変化にデジタル社会が急激に到来した気がします。
その3年後のwindows98の時代にはデジタル化の社会基盤整備が進み、ネットワーク基盤が格段と利便性が向上しました。
私はその頃、警察本部の捜査一課で強行犯、広域捜査捜査に就き、デジタル社会に背を向け、地べたに這いつくばって証拠を積み重ねるアナログ典型の地道な仕事をしていました。
そこにパソコン好きな警察本部長が転入され事態が一変しました。本部長に呼ばれサイバー犯罪捜査の独立した組織を作るため「インターネットのハイテク犯罪(サイバー犯罪)取締室」を作りたいが、人員を集め立ち上げてくれ。全国に先駆けて新潟から発信したい。」というのです。
私は捜査一課で指揮が取れる立場となり「苦しいけれど生きがいを感じ、大きな事件でもあれば私の警察人生で業績が残せるな。それなのに事前の計画も予算もなく、予算獲得等捜査以外の困難さが目に見えているのに何という業務命令だ。」と大いに反発しました。しかし、稲盛和夫さん風に言えば、「動機善なりや、私心なかりしか。与えられた仕事は天職と考えよ。」と考え直し、謹んでお引受けしました。
体制は私以下専従員10人体制(うち専従員5人)でスタート。発足日に報道関係者がたくさん詰めかけていたのにあっという間に潮が引くように皆去ってしまいました。
同時刻に和歌山県のヒ素入りカレー事件に真似て「アジ化ナトリウム入りお茶入り事件」が発生し、ニュースバリューの違いで報道陣は全てそちらに行ってしまい、発足式は寂しいものとなりました。
その後、報道各社からインタビューを受け、新聞に囲み記事として私の記事が乗り、経歴欄に母校の大学が掲載されたのを見た母校の同窓から職場に電話をいただき、友電会の新潟支部に参加したのが友電会と関わった最初の出来事です。
さらに新潟県内のOBだけでなく、県外のOBとも出会いましたのでこのことにも触れましょう。
私のところにN社のN新潟支店長が法人相手にパソコンを売り込みに来たのですが、顔を見た瞬間、「母校のバレー部の先輩だ。」と直感し、こちらから声をかけますと「警察には知り合いは居ません。悪いことはしていません。」と私の顔を見ずにN氏は逃げ回るのです。後で笑い話になりましたが、その彼を新潟支部に案内して営業の手助けをするなど交流の輪を広げたこともあります。その彼は今は鬼籍に入ってしまいました。
・・・・・「私と友電会との関わりについて(2)」につづく ・・・・・
※ 記事引用: 日刊警察新聞、朝日新聞