鈴木顕広

 レソト王国は南アフリカの中にある小さな王国です。大半がソト民族でソト語と英語を話します。
派遣前はどこにあるかも知らない国でした。天空の国と呼ばれ大半が3,000mの山地です。
首都マセルはこの国では低地でそれでも1,600m程度です。


 JICAシニアボランテアとして赴任先はレソト国立教育大学でした。
学生数は2,500人程度です。
後からNTT OBのシニアボランテアがもう1人配属されてきました。
大学の中では、4年後配属された後任を含めて、他のボランテアが所属していた管理部門ではなく、どうも私だけアカデミー部門に配属されました。

 50台程度のPCラボで、講師は学位を2つ持っているコンゴ人でした。PCの管理が悪く、人任せで、ウイルスでPCにパスワードかけられていたり、特定個人が使えるようにしていたりして、満足に動くPCが少ない状況でした。
 ラボの講師はカナダの大学に行くことになり(最初3ケ月と言っていたが今もカナダ在住)、ここでの講師を任されました。PCについて学生に教えました。

 一度3,000mの高地にある、大学の分校に5日滞在しそちらのPCラボのPCをメンテしましたが、高地のせいか、夕方にかなり疲れが出てきました。一緒にマセルから行ったレソト人もやはり同じようでした。現地の人は問題無いようでした。
 滞在中、南部アフリカ(ジンバブエ、ナンビア、ボスワナ)PC担当者が集まり、情報交換・勉強会がありました。その中で、ジンバブエで学校全体のインターネットが動かなくなるトラブルがあるとの報告がありました。他人事のように聞いていたのですが、実はレソト教育大学でも発生しました。時々ログを見ていたのですが(wireshark)、管理ビルの中のPCから、cash server にFlashかけられていました。ウイルス除去で回復したようです。
 日本に帰国後、NCRの人に、このログの話したら、今の若い人は、ログなんてとりませんよと言われました。何かいい方法があるのか古い人間にはわかりません。

 首都マセルは治安が悪く(前任者が強盗にあった)、現地で車を購入し、それで移動しました。ただし、私の買った車は1,200CCのサニーで、この車は、2,000m以上の土地では、エンストして使えないようです。大学の車も、3,000CC以上の大型車でした。

 運動不足になるので、この国としては立派なジムに通うようにしました。
最初の頃、あまり客は多くはないのですが、人が使っていた器具の隣りを使いましたが、ひどくにらまれした。チラッと顔を見たところ、どこかで見た顔でした。あとで紙幣に印刷されている顔、つまり王様という事が分かりました。JICAにこの事を報告しましたが、特に問題ないとのこと。この王様、過去にクーデターを起こして、国がどうしようもなくなり、権限が減らされていました。この国はクーデターが時々起こります。幸いなことに、私が経験した、チュニジアでのアラブの春革命と違い、今回は、私が帰国後すぐクーデタが起きたようです。

 レソトは世界の中で最貧国に入ります。3,000mクラスの岩の多い山に囲まれ、産業の少ない国で、海外からの援助で成り立っているようです。
 私の赴任前には、公務員の給与が支払えなかったようで、私が赴任時、JICAの人が大学職員に聞いていました。国のインフレ率は公表6%で、大学の賃上げ回答は5%でした。それで教職員のストライキが始まりました。実は私自身レソトで生活してみて、体感したインフレ率は、10%ぐらいで生活必需品のインフレは高いように感じました。

 話変わりますが、UbuntuというOSご存じですか?
Ubuntu は南アフリカ語で感謝の意味だそうです。南アフリカ生まれのOSです。黒人差別のアパルトヘイト政策が終わった後、マンデラさんは白人を追放しませんでした。そのため優秀な白人が残ったようです。
 私が赴任中に、マンデラさんが亡くなりました。1日中TVで葬儀の様子を放映しました。2番目と3番目の奥さん並んで参列していました。レソトの王様も最前列にいました。アパルトヘイト政策の時代レソトは追放された黒人を受け入れていました。 

レソトの様子は、4年後の赴任したボランティアが下記ホームページに纏めています。

https://www.ilesotho.org/economy.html