1-病院/医者/歯医者-(A)

1972年、25歳時に自分の意思とは真逆で会社から電卓の現地生産の技術担当としてLos Angelesに駐在任命が下りました。
当時は近郊でも日本人に会う機会も殆ど無い時代で日本語、日本文化、日本食が大好きな自分がこの地で電卓製造の技術指導を現地社員にする事になるなんて、、、、
言葉、文化も全く分からず奈落の底の生活が始まりました。

さて、憤慨、絶望の時代を経て希望の光が見え出した1995年頃、私がアメリカで初めて病院で手術を受けた体験です。
その頃はNYに駐在しており仕事も多忙で一月の半分は出張でその日はTexasを飛び立ってIndianapolisの飛行場に着いたのが夜9時頃でHotelにチェック イン後、空腹で朝から何も食べていない事に気付き、ルーム サービスを頼み、部屋で翌日会議の資料を見ながら12時頃に夕食を終えました。

ビールとチップス、それにチーズバーガー等を多めに注文したのですが早朝からエビ状になる激痛が始まり、冷水、温水を当てて対応するも脂汗、、とうとう限界になり、フロントに電話して医者いますか?って聞いたら近郊に病院がある、、との事で救急車を手配してもらい病院のER(Emergency Room)に運び込まれました。
時刻は朝6時頃だったと思います。

受付でフラフラ状態で聞かれた事は、車の運転免許証で身元確認、病気の症状、いつ、どこで、何を食べたか、痛みの続行時間、、云々の質問で、もう悲鳴が出そうでした。
さて、受付いわく、、What kind of a medical insurance doyou have?, ,
こんな状況下でもそんなこと聞くのか?!と憤慨しましたが、私もまだ当時アメリカの生活ルールを完全に会得しておらず医療保険証も帯同しておらず、支払いは大丈夫だ!と言ってAmex cardを見せたら(当時ある程度の所得が無いとこのCardは持てない) すぐOKが出て、医者や看護師が来て血液検査をしながら初診時の質問を延々と訊いてきました、、

すぐCT Scan室に運んでくれて検査開始、、もう痛みも限界を超えていた頃、医者が来て、Are you Japanese ?って聞くので、私がYes I am !って言うと医者は僕は野茂の大ファンだよ!彼は凄い!って話し出しました、、私はそんな事どうでもいいからこの痛みを止めてくれ〜!の心境でした。
後で分かったのですが、医者にもよりますがアメリカでは、この患者は生死を彷徨う状況では無いと判断するとこの程度の冗談はよく言う事がある事を知りました。

そして、次に医者が発した言葉がなんと、貴方は今までお金を貯めず石を貯めてきましたね! 胆石が無数にある!さあ、やりますか?!って言うから、私は言ってる意味が分からず、何をするのですか?
って聞くと医者は腹切って取るか、腹腔鏡でやるか、どっちでやるかって、、もう唖然としました。
日本なら色々説明を受けて段階を踏んでから手術って事でしょうが、USAの医者の決定は早くって驚きでした。
この話を後日、日本の医者に話すと、はっきり症状、原因が分かれば、USAの医者はやる事が早い!日米の医者の手術件数は、同じような条件下でもUSAの医者の方が手術件数は、日本の医者の数倍と言う話をUSAで研修医をしていた友人の医者から聞きました。
その手術経験値から、外科医はUSAの医者は腕の良い人が多いとの事でした。私は日本人医者の方が手先が器用と思っていました。

・・・「アメリカ 駐在中の生活編」1-病院/医者/歯医者-(B)に続く

サカ 記、E5期