F16 E.Sakai

就職後の体験談を「OB回想録」として掲載してきましたが、一時期担当した映像関連設備業務では、記録媒体の進歩に応じて、取材場面や番組送出に使用される機材が次々と入れ替わっていく様を目撃し、自らも関わることになっていきました。
そんな内容を思い出せる限り纏めてみました。(思い違いも有りますがご容赦ください)


入社当時(1980年)、私は、フィルムから磁気テープへの変革が始まった時期であることを実感じていました。
これまで、ニュース取材や番組制作にはフィルム(16mmなど)が使用されていて、映写機で映し出した映像を電気信号に変換して送り出していました。
確か“テレシネ”とか呼んでましたね。
民放局のマスター室に大きなテレシネ装置が何台も並んでいるのを見たことがあります。
CMの送出用だったと記憶しています。
(写真は、神戸機工製)

記録メディアとしてフィルムは、その地位が確立されていましたが、撮影後に“現像”という工程が必要であり、それが終わってみないと映像の出来具合が分からない事が弱点でした。
特に、ニュースに使用する映像は即応性が求められるので、現像工程はネックとなります。
如何に現像を早く終わらせるかを追い求めた設備が、“現像室”という専用の部屋に設置されていましたね。

一方、磁気テープに映像・音声を記録して再生するVTRが開発されると、番組を送り出す装置には2インチVTRというオープンリールの磁気テープを使用した大きな機器が導入されていきました。Ampexというメーカーだったと思いますが、私が入社した当時には既に導入されていました。

また、即応性が重要なニュース映像に対しては、私が入社する1年前の1979年にENG(Electro News Gathering)機材として放送局に導入が開始され、翌1980年から全国の放送局に拡大していきました。
SONY製のVTRで「Umatic」と呼ばれていました。テープはカセット式でした。
VHSやβmaxのご先祖様ですね。

取材用は、カメラとVTRが別々で、その間をケーブルで繋いでいました。
因みに、カメラはSONY製と池上通信機製の2種類がありました。
日本ではカメラとVTRの2名一組で動いていましたが、アメリカ人は体格が大きいので一人で両方持っていると聞いたことがあります。
ニュース送出用のVTRは、大きくて50Kgほどありました。

番組送出用のVTRは、オープンリールテープを使用する事は継続されましたが、テープ幅が2インチから1インチへと変わり、機器の大きさもかなり小さくなりました。
ドラマ等の制作でもポータブル型の1インチVTRが使用されるようになり利便性が増します。


フィルムからVTRへの変化により、「現像不要」「即応性」という利点に加えて、取材映像を編集する作業にも大きな変化をもたらしました。

フィルムの場合、取材した映像を整理して一つの番組・ニュースに仕上げるには、物理的にフィルムを切り貼りしていました。
時間はかかるし、やり直しも容易ではありませんでした。
2インチVTRでも、記録された磁気パターンを上手に切り貼りした事もあったそうです。
(記録方式の変更により1インチではできません。)
それが、「電子編集」のシステムが構築されたことで、原版にキズをつけずに、必要な個所を指定してあげると自動的にコピーして繋げていくことが出来るようになりました。
微妙な修正もやり放題で、編集にかかる労力が大幅に削減されました。

余談ですが、放送のタイトルなどによく使われる「テロップ」は、現在、コンピュータなどで電子的に作られて映像と合成されていますが、以前は黒色の台紙に描いた手書き文字を専用設備(FSS:Flying Spot Scaner)でスキャンしたものを使っていました。
この設備も大きかったですねー。

技術の進歩により、お役御免となった「現像設備」「テレシネ」「2インチVTR」「テロップ送出設備」などの撤去工事に、私はその都度携わってきました。
殆ど鉄クズ同様の扱いで処分されたのですが、長年使用してきた局員にとっては名残惜しいらしく、運ばれていく光景をじっと見ていた光景が思い出されます。

次回は、最近までのVTRの変化について纏めてみたいと思います。

写真出典:wiki media common 他