F16 E.SAKAI

 令和2年6月、私は2度目の出向になりました。
そして、レンタル・リース関係の会社に副社長として就任することとなりました。

 この会社には、私と同じ出向元から来ている者、もう一つの会社から来ている者、プロパー社員、派遣社員、アルバイトと、基盤が異なる社員で構成されていて、社員の統率には結構パワーが必要に思えました。
まぁ、この心配事は、殆どの場合、杞憂で終わりましたけどね。

 難しかったのは、両社からの出向者間で基本的考え方が微妙にズレている事でした。
出身母体の企業文化が違うので仕方ないことですが、この調整をしっかりやっておかないと円滑な運営が出来ません。
会社統合の協議と同じ様な気がして、私はこの種の仕事を行う事が天命にも思えてきました。
日々の対話を大切にし、互いに尊重し合う雰囲気を作っています。

 コロナ禍で世の中が疲弊している中、テレワークによるPCのレンタル需要が急激に増加して、事業としてはかなり好調でした。
しかし、世間の状況を見ていると手放しで喜べ無いという複雑な心境です。
何か社会貢献を!と思案したものです。

 私の役目には、社内統括の他に、需要な役割がもう一つあります。
出身母体の会社との懸け橋となる事です。
日々の営業活動は担当者が行いますが、会社の顔になってお願いに上がる事は、社内から大いに期待されています。
私も営業経験が有りますので、出身者で無いと分からない運用面での課題に対する支援策を検討し、担当者から提案して貰うという事を行い続けています。
 先輩が営業に来られると苦手な方(または嫌な方)が多いので、先輩風を吹かせない様に注意しながら話す事にしていますが、それでも威圧感を感じるのでしょうね。

 65歳になると契約期間が満了するので、この原稿が読まれるときには既に完全退職して大阪に戻っていると思います。

 今回、自分の会社人生を振り返ってみましたが、本当にいろんな転換期が有りましたねぇ。
好奇心旺盛な私にはそれが合っていたのではないでしょうか。
今考えても、全く飽きない会社勤めだったと思います。
 大阪に戻った後も、今までとは違う、何か新しい仕事をやってみたいと思っています。
まだまだやりますよー。

これまで、拙い文章を文句も言わずにお読み頂き、誠にありがとうございました。