F16 E.SAKAI

 平成30年、1年後の経営統合(企業合併)を目指して、プロジェクトチームが発足しました。
親会社傘下の2社が合併するのですが、両社間には大きな違いが有りました。
概ね親会社の委託業務を扱う会社と、世間全般の業務を扱う会社。
営業(受注)活動が殆ど必要無い会社と、必死に活動する会社。
映像や情報ソフトを扱う会社と設備工事会社。
転勤が殆どない会社と、転勤が有ることが基本の会社。 などなど。

 統合協議は、テーマごとに会議体を作り、両社から社員を参加させて行いました。
私は主に人事関係のテーマを扱う事となり、毎週の様に協議を行いました。
というのも、人事関係は検討すべき項目が非常に多かったのです。
キャリアモデル、給与や賞与、休日関係、年金、人材育成、福利厚生、健康安全など、社員の処遇に直結する事項が山積みです。
相手方と協議する前には社内での説明、相手方との協議後には社内のコンセンサスを得る協議。
また、労組との交渉、全国社員への説明会など、やること目白押し!

 中でも、非常に悩ましかったのは、給与体系の統一です。
親会社が同じでも給与体系はかなり異なっており、統一は至難の業。
待遇の良い方に全て寄せる事が出来れば簡単ですが、それでは人件費が膨らみ過ぎて経営を圧迫するので、全体を見ながら調整しなくてはならず結構難しい作業です。
 また、テクニカルな部分だけでなく、社員の気持ち・受け止め方も考えなければならないのです。
どちらの社員にとっても、基本給が上がる部分もあれば下がる部分もある。
無くなる手当も有れば、新しい手当が出来る部分もある。
どのように調整しても社員から非難を受けることは必至であり、いつもプレッシャーを感じていました。

 当時の私は、両社制度の中間を目指すのではなく、折角の機会だから、新社の社員にとって働き甲斐のある制度を目指そうと考えていました。
結果的には、50%も出来ていなかったかなぁ・・・と反省しきりです。
1年間という非常に短い期間でしたが、それでも主要部分だけは何とか合意し、合併に漕ぎつけました。
思い起こせば、期限が近づくに従って、凄い勢いで調整していたので、周囲の人は近寄りがたかったかも。

 令和元年 経営統合がなされ、新しい会社が発足しました。
新会社発足日には、協議に携わった皆でホッとして、脱力感も感じたのを覚えています。
しかし、主要部分は統一したとはいえ、まだまだ細かい部分は残っていました。
実際運用してみたら、旧社間での理解に違いが有ったなど、一つの課題を解決するのに時間がかかったりしてトラブル続きでした!
現場からはクレーム続出し、担当者は混乱状態。対応に追われる日が続きました。
統合後も人事部は楽できません。

 統合協議を行った事により、良い副産物もありました。
旧両社の人事関係社員が、協議の場でいつも顔を合わせて話していたので、統合後の人事部内でのコミュニケーションがうまく取れた事です。
検討する課題が多いので、両社の多くのメンバーが協議に参加したことが良かったのでしょう。
制度変更で混乱する社内からの声に、連携して取り組める力になりました。
良く呑みにも行きました。 

 さて、経営統合から1年。
作業も落ち着き、次なる課題に取り組んでいる中、令和2年6月に私は役員を降りて、関連会社に出向することになります。
実は、私自身が出向者を誰にするか検討していましたが、なかなか適任者が見つからず困っていたところ、社長から「では君が行ったらどうか」と半分冗談のように言われ、その後、決定したのです。
人生どうなるか分かりませんね。

 出向先会社の業務内容は、これまでと大きく違っていて、リース・レンタル・保険という金融関係。
全くと言っていいほど知識が有りません。
また、その年の12月には定年退職・再雇用を迎える予定です。
さてどうなる事か。

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