I15期 沖 洋一(小沢研7期)

 私は、1975年4月~1979年3月まで、大学に在籍しておりました。その際、大学内も学生用の掲示板(当時SNSはなく、あくまでも板の掲示板)に「遺跡散策の会」のポスターを何回か確認し、在学中及び卒業後も何回か参加し、4年生の時は主催者側として携わりました。皆様は、このようなイベントは、「歴史系」のクラブの主催と思われるかもわかりませんが、工学部経営工学科小沢研究室の主催でした。今回は、運営に携わった面も含め、OBの学生支援の方法につなげ述べさせていただきます。

 このイベントは、年2回(春、秋の日曜日)に開催され、母校 吉田晶教授(当時)と帝塚山学院大学 上田宏範教授(当時)の2人を講師の説明付きで、前方後円墳を中心とした遺跡を、原則徒歩、弁当持参で1日をかけて周るものです。参加費として数百円を徴収しておりましたが、当日配布するパンフレット(学生が手書きで作成)の作成費用となり、講師の先生も手弁当での協力で行っていました。参加者は、母校関係者(学生、職員、OB)、帝塚山学院大学関係者(上田先生関係の学生、OB)、その他口コミで知った方を含め、30人以上(多いときは50人以上)の参加がありました。友電会の取材はありませんでしたが、母校法人本部広報担当の方が毎回参加し、学報には掲載されていましたので、当時の学報を確認すれば様子がわかると思います。

 コースは、先生と相談して、地域を決めた後、細かいコースは主催側の学生(小沢研4年生)が決めていました。SNSのない当時は紙の地図、書籍、施設等への問い合わせを頼りに集合場所、解散場所、見学場所、コースを決め、何回か下見をした記憶があります。
参加者には、女性、高齢者もいるため休憩場所(昼食場所を含む)やトイレの場所の確認していました。また、私が主催側の時、遺跡間の距離が2km以上離れている箇所があり、その対応についていろいろ議論した記憶があります。その間は公共交通機関がない箇所のため、貸し切りバスの利用なども検討しましたが、費用の面で断念しました。その他、記憶にあるエピソードとして、桜井市内の農道を歩いているとき、鍬をもって歩いていた地元の方が、気さくに話しかけてくれましたが、なんと 母校の中尾政一教授(当時)だったこともありました。また、何人かOBの参加もあったためミニ同窓会としても機能しておりました。卒業後参加したときは、解散後OB同士で軽く親睦をはかり、最終新幹線(当時は新大阪20時30分頃)で帰京した思い出があります。

 残念ながら、このイベントは1985年頃で終了しました。その大きな理由は、吉田先生の転勤(後に岡山大教授)や、上田先生のご高齢によるものが大きいですが、時代の流れによる学生の変化によること大きいと思います。最後の「遺跡散策の会」は寝屋川を中心に短めのコースで、通常なら現地の駅解散でしたが、寝屋川キャンパス内での懇親会を持って解散となりました。私も参加し、皆さん思い出話で花を咲かせていましたが、この席上、講師の上田先生の言葉を今でも覚えています。先生は、思い出話の最後に、両大学の男女学生間でのカップルが誕生しなかったことを、残念がっていました。

 このイベントに携わった思い出を振り返り、OBとして学生の育成に結び付けることが出来ることとして、以下の2点があると思います。一つは、このようなイベントの運営を学生に任せることにより、座学では得られないスキル向上につながると思います。友電会としては、総会などの会員向け行事の余興部分(多くの会員を集めるために有効)の企画から運営までを学生に任せるとか、本部HPの運営の一部を学生に任せる(クラブ同窓会で実績あり)とかいったことが可能だと思います。またもう一つは学生の後方支援です。私は学生時代にお世話になった恩師のなかで、母校教員以外に上田先生も印象に残っています。学生の視野を広げるためには、学外の有識者との交流が不可欠です。友電会会員にはすばらしい有識者がおられ、学生のためなら手弁当で支援していただける方も多いはずです。各クラブなどの学生団体への後方支援(単発で講演会開催などでも可)は容易にできると思われます。