F16 E.SAKAI
平成29年6月 本社へ転勤しました。
部署は人事本部、そして執行役員に・・・
本社には、親会社から来た社長と専務が先頭に立って改革を進めている最中であり、その中に放り込まれた形です。
毎週火曜日の役員会、その後の改革推進会議。
テーマが割り振られ、管轄のテーマには事前に資料を準備し、専務への説明、再修正後、幹部会への説明、そしてようやく役員会に提出できるというハードルがかなり高いものでした。
資料の不備には容赦なく叱責され、即座の修正が求められ、酷いときは説明始めて3分も経たないうちに突っ返されたりしました。
いやぁ半端なく厳しいなーという印象です。
それだけ不祥事にて会社がダメージを受け、追い詰められていたという事です。
人事の仕事は難しかったですね。
“人”を扱うわけですから、数式のようにいかない。
もちろん支社時代にも人事的なことは担っていたのですが、全社規模となると全く違う世界でした。
“適材適所”とよく言われますが、それがどれだけ難しいのか身に沁みました。
社員数は700名程でしたが、全員を把握するのは短時間では無理。
幸い、生き字引の様な先輩社員が居ましたので、常に相談していました。
毎日帰りは遅くなるので、その方と夕飯のため焼鳥屋に良く行きましたねぇ・・・
話すのはおよそ愚痴。 ストレス発散ですね。
また、趣味が一緒だったことも良かったです。
今思えば、この夕飯会が無ければ、精神的に病んで仕事が続いて無かったのではないかと思います。
さて、会社の定期異動は7月1日に設定されていました。
“適材適所”を目指して人事異動を具体的に検討し始めるのは新年度に入って直ぐだった様に思います。
人事本部としての構想はありますが、各部署、特に地域の支社からの要望は多く、整理するだけでも大変です。
皆、人手不足なので増員を!と言ってきますが、社員総数は決まっている訳で、無理と答えると、業績が落ちても知らないぞと脅されたり、△△部署をひいきしていると言われたり、もう散々です。
人事部は社内で強力な力を持っていると良く言われますが、大なたを振るうのは最後の最後ですから、耐えて話を聞くのも、罵られるのも覚悟しないといけないのです。
労働組合との交渉も担当でした。
元々、私は支社で労組委員長を担っていた時期が有ります。
当時は、ストなど結構過激な活動をしていました。
そういう事もあり、労組の考え方には精通していましたので、上手く対応できた方だったでしょう。
会社側の者として、労組の主張に理解を示し過ぎる傾向はありましたが、会社の原動力は社員にあるので間違いではなかったと考えています。
毎日忙しく、悩み苦しんだ日々でしたが、今度は会社に大きな転機が現れます。
企業統合です。
親会社傘下の2社が、1年後をめどに合併する事となったのです。
そして、私は統合推進担当役員の役割を仰せつかりました。
さてどうなることか・・・
To Be Continue・・・