~ オービスで捕まる ~

1972年の初渡米後、暫くして日本のオイル ショック不況と電卓生産事業の不振で日本本社の倒産、、そして再建させる管財会社である中堅商社下でキャッシュ レジスターや小型電子オフイス機器等の生産販売を試みるも軌道に乗らず苦戦、
日本本社も海外取引で巨額損失が発生し再度破綻しました。

USAでこの頃が人生の最大の危機で荒波に揉まれていた頃でした。やはり異国で二度も職を失う事は厳しく、その頃経験した”生きなければ”の試練がその後のUSAでBusinessを開花させる時に大きな影響を与えたと思います。

1980年代に入り、人生3番目となる転職先の日本の製造販売会社がそれまでのUSAのOEM先との販売契約を終え、自社Brandの建築機器販売の拠点を作るという事で雇用されNew Yorkで新会社を立ち上げ、事務機と建築機器の二業種のBusiness構築に没頭していました。

USAで新事業を立ち上げる事はこれで3度目でしたが、特に今回は全く経験が無い異業種と規模の違いから、すべて暗中模索、まず商品知識がない、販売ルートもない、指導者もいない、ナイナイづくし、、
兎も角、最初は業界に飛び込み小規模販売店(Owner 社長)に近づき商品説明を行いながら、主要都市近郊の建築現場を訪問して情報収集に注力する毎日で、大袈裟ですが四六時中考えている状態でした。

ある日、相当遅れた時間にファスト フードの昼食を食べに行く為、交差点をボーとした状態で赤信号で左折してしまい直ぐ、しまった!赤だった、、、と気がつきましたが、、
その時は運良く交通量も無く、そのまま事務所に帰りました。

すると一週間後に裁判所から罰金支払い命令、不服なら裁判所に出頭せよの案内が自宅に届き、指示に従いComputerにアクセスするとなんと自分の車の左折状況が正確な時刻経過と共に車のライセンス番号、もちろん信号機の赤色も全て記録されており問答無用の罰金支払い命令でした、、

USAでは当時、既にこの様なオービス機器が導入されていて証拠違反記録/Video撮られると殆どの場合、違反者は罰金を素直に支払いますので(殆どの一般人が持つPersonal Checkに罰金額書いて郵送)違反に不服申し立ては生じず罰金の回収効率は非常に良かったと思われます。
しかし交通法規違反Ticketを警官に切られた場合は、本人が違反を犯した認識がない場合や違反摘発を不服に思う時は後日、裁判所や簡易裁判所で無罪の申し立てをその時の状況や証明写真等を添付する事で無罪になる場合が結構ありました。
その場合は担当警官も出頭しますので警官側も手間がかかり不効率です。その為、その現場で自分の言い分を申し立てる事は、時と場合によりTicketを無効にする為に有効でした。

帰国後、Costcoに行く為、新三郷近郊の直線道路を18kmのOver Speed違反で走ったという事で、初めて捕まりました。
その時、それが自分の車である証明を見せて下さいと言っても聞く耳持たず、、1時間程、側道で不服申し立てしましたが結局証拠写真も見せてくれないので違反書類へのサインを拒否しました。(自分は、58kmで走っていない認識の為)

そして後日その取り締まり管轄の警察署に出向き、その取締の不効率さ、時間の無駄を説き、前述のオービス等への切り替えか、証拠提示が即、可能になる様に文書を提出しました。
ポイントは違反車(Plate #)、運転者、Over Speedの証拠を提示出来なければ、警官の仕事効率が激減する事を認識すべきと思いました。

サカ 記、E5期