~ Columbus Circle、NYでの奇跡 ~

1972年に技術者の若手として英語力皆無なのにLos Angelesに駐在させられ、日本から出荷された半完成品の電卓に現地生産したLSIを組み込み、ランニング テスト後、完成品にする作業を現地雇用のメキシコ人等に技術指導する職務で、意思疎通が出来ない環境下で難行苦行が続き、文化、習慣の違いで悔し涙の毎日でした。

「石の上にも3年」を何とかクリア後、20年近く在米すると知らぬ間に、仕事で失敗すると他人のせいにしたり、言い訳ばかりする文化に馴染んでしまった嫌な自分に気がつき始めた頃ですが、悪い事ばかりじゃ無く、自身を守る権利の主張と交渉時の言い張る度胸も身について来た頃でした。

時は1989年頃、New YorkのManhattanの中心あたりに位置するコロンバスサークルで信号無視をやりました!
この頃のManhattanは、街中、ホーンを鳴らしながら縦横無尽にツッ走る多くの車、客を見つけると、どんな状況下でも急停車するTaxi、そして通行人も信号を守らず、赤でも車が途切れば何処でも横断、、、そして営業車は駐停禁止サインも無視し、二重駐車する車で溢れていた時代で、一体この国はどうなってるの?唖然とする事、数知れず、、
(そう言う私も、Cityでの運転時は、進路を左右に瞬時変更出来る様に車線上を跨いで走る悪習慣が身についていました)

この様な交通無法地帯で、妻と子供2人を乗せてコロンバスサークルを西から東の5番街にぬけようとした時、信号は黄から赤に変わってしまいましたが、後続車から追い上げられており、急停車は危険と思った途端に、赤で交差点に突入してしまい、やはりいました警官が、ピッピーって笛吹かれ、側道に誘導され、赤だろう!なぜ進んだんだ!とエライ剣幕で怒られて、ぶっきらぼうに“Driver License”!だけ言われ、もう絶体絶命、、そして咄嗟に出た言葉が、
I knew you were on the corner of the intersection, but the car following us was very speeding up.
If I had stopped suddenly at that moment, it would have a rear-end collision and my kids would have
been involved in a serious accident!
That reason why I entered the intersection at a red signal.
この最後の”子供が大事故”が決め台詞、、になった様で警官曰く、「今後は気をつけろ!」で無罪放免!Lucky〜。

Pointはまず違反を認める。でも違反を犯した時は不可抗力。自分の身を守る事を優先し、子供の安全を最優先させた。
この説明が警官の判断を甘くする交渉言葉と学習しました。
追記ですが、言い訳時にI was not a KAMIKAZE driverって軽い冗談を言ったことを覚えています。
(当時は神風、真珠湾奇襲等の言葉が例え言葉で使われることがあった)
このUSAで有効な冗談を言えるまで20年程!かかりました。

但し、法規違反は絶対に犯してはいけないのは当然で、警官にクレームする場合も時と場所、違反内容、相手、Timing等により全て同じように出来ないことを理解すべきです。
しかし、こちらの言い分を聞いてくれ、No Ticketにしてくれた時の気分は最高でした。

サカ 記、E5期