F16 E.SAKAI

 平成14年に出向から大阪支社へ戻った私は、営業部の管理職として着任。
営業的なことは少し経験したことが有ったが、ガチの受注活動は経験なし。
とにかくやってみるしかなかった。
 お客様は放送局が主だが、自治体、一般企業など何処でも対象だった。
私の担当分野は、やはり得意な映像情報系と地デジ関係。
特に、新規開発システムの売り込みが多かった。
あまりいい成績だったとは思いませんが、それなりに貢献できたかな。

 また、受注活動以外の重要な役割が、受注・売上の管理でした。
ここでも新しもの好きの私なので、手法をかなり変えたことを覚えています。
社内から結構クレームも有りましたが、今では定着しているので良かったかな・・・

 5年ほど経って、営業部長となり全体を任されることに。
これが結構大変でした。
 一つには、「支社の顔」になること・・・これはかなりの重圧でした。
特に、各界の重鎮との会合では非常に緊張しました。
 もう一つ。大阪営業部は、かなり優秀な社員が集まっていましたが、各人とも非常に個性が強く、これを纏めるのは至難の業であるということ!
前任者はよくやっていたなぁと感じた次第です。
それでも何とかソッポ向かれずに済みました。

 建設業界でしたから、当時はグレーな部分も多く、談合などに巻き込まれない様に非常に気を使っていましたが、これもストレスになっていました。
(この辺りの話は大変面白い場面も有りますが、流石に今でも書けません。)

 この時期、かなり身体と精神に負担がかかっていた様に思います。
営業部員の中には、会社近くのサウナが定宿になっていた者も居ましたね。
私は、夜遅くなっても絶対に家に帰ると決めていたので、逆に睡眠不足になりましたが・・・
しかし、営業はやりがいが実感できましたので、辛いとは思いませんでした。
支社の業績が赤字に転落し、それが2年続いたときは、部長の座を降りようかと思ったことも有りました。
そんな時も、本社会合で逆に皆から擁護されるという場面になり、変なところで運がついていると感じた事もありました。

 平成25年には副支社長を拝命しましたが、営業部長も兼務していました。
どこの会社でも営業部と技術部は仲が悪いと言いますが、私の会社でも同様でしたので、副支社長という立場で調整する役目になったわけです。
営業部長としては営業を守らないといけないのですが、副社長としては技術も含めた全体を見なければならない立場ですから複雑でした。
ストレスで胃が痛くなる場面は、ほぼ毎日でしたね。

 営業部長になった頃、50歳の記念としてPET検査(ガン検査)を受けたところ、甲状腺ガンが見つかりました。
手術を受けることを当時の支社長に話しますと、彼も膵臓の手術を受けるとの事! 
支社の幹部が同じ時期に手術を受けるという事態になりました。
幸い二人とも命に関わる事にはなりませんでしたが、支社としては、業績悪化や幹部の病気、その他諸々悪いことが重なったので、神社でお祓いを受けました。
効果が有ったかどうかは・・・・・

 副支社長2年目の平成27年に、大阪支社長に就任することになりました。
業績悪化の中、問題山積でのバトンタッチ。
その後、苦しい選択を迫られることになります。


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