F16 E.SAKAI

 映像音声関係の業務は順調に進み、途中から情報(IT)関係の業務も加わり、当時流行った“マルチメディア”で必死に、そして楽しく仕事に従事していました。

 時代は、地上波TVがアナログからデジタルに移行しようと計画されている頃。
平成11年に新しい業務に行ってくれないかとの話が有り、石川県金沢市に建設する地上デジタルTVの実験設備(研究開発用共同利用施設)に携わる事となったのです。
この実験局は、全国に10箇所作られ、そのうちの1局が金沢市にある石川テレビの敷地内に作られました。

 ENG保守業務に続き、これまた新しい仕事への挑戦になりました。
当初は、東京本社にて建設プロジェクトに入り、デジタルTVについての勉強、設備建設の内容把握などに没頭しました。
「これ読んどいて」と渡された本は、デジタルTVの原理が解説されているものでしたが、英語で書かれていましたので読み解くのに時間がかかりました。
 また、映像・情報系に従事し、送信系には殆ど携わって無かった私が、実験局とはいえ基幹局(東京ではスカイツリー、大阪では生駒にある様な親局送信所)の送信設備を任されることになるので、そちらの知識も取得する必要があり、大学卒業後の中で一番勉強した時期でしたね。

 その後、総務省所管の法人へ出向して金沢市に赴任しました。
その時頂いた肩書が「首席研究指導員」!
北陸3県の技術者が集まる協議会が行う研究を指導する!!
そんな事自分に出来るのか? という大きな不安を感じた事を覚えています。
しかし、同じ職場や元の会社の皆さん、協議会の役員の皆さん、そして機器メーカーの助けもあり、なんとか役目を果たすことができました。

 印象に残っている研究(実験)は2つあります。
1つは、隣り合うチャンネルで妨害なく放送できるのか? という実験。
アナログテレビでは、隣のチャンネル(周波数帯)を使うと妨害が生じるので、間を1チャンネル分空けていましたが、デジタルでは理論上空けなくても大丈夫という事なので、それを実証する実験です。
実験結果は上々で、その結果を受けて全国のチャンネルが設定されることになりましたから、非常に貴重な実験でした。

 もう1つの研究は、市内の小学校にご協力いただいて、データ放送とインターネットを利用した双方向通信実験です。TVのデータ放送で送ったアンケートに、学校で受信した生徒たちが答えるというもの。
こちらは、データ放送の可能性が認識できたこと、そして、インターネットとの併用で、更に世界が広がるという期待が膨らみました。

 研究は5年間行われる予定したが、私は3年ほどで出向から戻ることとなりました。
金沢で出会った方々とは、今でも交流できているのは有難いことです。
コロナ禍となってからは開催できていませんが、毎年夏の暑気払いと年末の忘年会。
本当に楽しい会です。

 さて、出向から再度大阪に戻るのですが、その場所は技術ではなく、営業部となったのです。
「営業」やったことないです。
また新たなページを迎えることとなりました。

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