F16 E.SAKAI
母校を卒業後に入社した会社に在籍43年。
近々、完全退職するにあたって、これまで体験してきたことを備忘録として掲載します。
読み物としては稚拙な文章ですが、「まぁ、そんなこともあるよ」と読んでいただければ幸いです。
第1回は採用決定から入社までです。(全10回予定)
4年生の私は、電波に関係する会社を希望し、様々な会社を訪問していました。
始めに、放送電波に関する技術会社で、NHKおよび民放各局の送信所。中継局の設計・施工・保守、共同受信設備の設計・施工・保守を担う会社(仮称Z社)を第一希望として応募しました。
面接官は、専務で大阪支社長。緊張しましたねえ。
「実は未だ(大阪で)採用するか決めていない。他社も回っておきなさい。」と言われ、ダメかと思って、多くの会社を訪問し、いくつかの会社で良い感触が得られました。
大企業数社にも内定寸前まで行っていた頃、Z社から内定通知が来ました。
Z社は中小企業のためかなり迷いましたが、自分の身の丈に合っているだろうZ社に承諾の返答をし、他社に断りの電話を入れました。 結構驚かれた会社が有ったことを覚えています。
昭和54年(1979年)11月末頃、Z社へ正式に採用が決まりました。
卒業の単位もクリアしていましたし、卒業研究もほぼ終わっていましたので、余裕のキャンパスライフを送っていたところ、突然Z社から連絡が来ました。
「12月が繁忙なのでアルバイトに来てくれないか?」
私はあまり気乗りしませんでしたが、会社の心証を悪くしてはいけないと思い、受けることにしました。
当時、Z社大阪支社は15人程度の少人数でした。
事務所に入ると一斉に注目を浴び、身体が固まったのを覚えています。
任される仕事は写真貼りという簡単な作業でした。 ・・・「簡単」と思っていました。
社員の方々が現場で調査した写真で、報告書の該当箇所に次々と張り付けていくのです。
現在なら、PC上で画像を張り付ければ良いのですが、当時は、写真屋さんから戻ってきたネガフィルムと焼き付けられた写真を見比べながら、順番を間違えない様に手作業で糊付けしていました。
アルバイトの先輩(女性)から、作業手順を教えてもらい一緒に作業しましたが、驚いたのは、処理速度が全く違うのです。
私もかなり頑張っていたと思いますが、先輩からは「遅いなあ」との評価。
本当に早い速度で何百枚も張り付けていくのですから、両腕のトレーニングをしているみたいで、翌日はやはり筋肉痛。 そんな日が約1か月続きました。
私が正式に入社したのは昭和55年(1980年)3月10日です。
実は、大学の卒業証書では3月28日(?少し違っているかも)が卒業日となっていました。
そう!、逆転しているのです。
当時、Z社では4月1日からの配属に先立ち、3月10日から東京本社で研修が始まったのです。そのため、研修開始日が入社日となっていました。
同期の採用者は自分も含め8名いましたが、それぞれの卒業式に参加するため、研修中に抜けて行った事を覚えています。
新人研修は結構つらかったです。
何せ8名ですから居眠りもできず、質問はどんどん飛んで来るし、実習もサボれません。しかし、その経験で、各所に配属されてからは即実務に取り掛かれました。
後から思うと、いい経験でした。
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